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「History」
~夢中になれたからこそ今がある~
気がつけば50代になっていましたが、音楽との出会いを振り返れば、小学4年生の時に母と一緒にレコード店に行って初めて買ってもらった、一風堂の「すみれ September Love」を思い出します。サンプラーで打ち込みされたサウンドの世界観に衝撃を受け、ずっと聴いていられました。そして私が22歳くらいの頃だったか、誰かがカバーするだろうと人に言っていたら、SHAZNAが見事にやってくれたのでビックリするのと同時に、すごく嬉しかったです(^^) 同じようにECHOESの「ZOO」もでしたけど。。。
笑
クラスのお別れ会では、友人とギターの代わりに布団たたきを吊り下げて、みんなの前で歌ったくらい好きでしたが、歌がへた過ぎてなのか大笑いされたことを覚えています。中学生になるとその友人とバンドを結成し、高校生の時はバンド活動に明け暮れていました。進路指導の先生からは「卒業したら仕事はどうする?何するの?」と心配され、私が「音楽で食べていきます」と言うと、先生が大笑していたことが強く心に刻まれました。有難くもこれが私の原点なのかもしれません。
音楽どころじゃない
卒業後は、働きながらバンド活動をしていたのですが、現実は甘くないことを思い知らされました。私の場合、音楽活動をしていけるような家庭環境ではなく、特に経済的な問題が大きかったため、「早く親を楽にさせてあげたい」との思いで無我夢中で働く日々でした。そして、バンド仲間と疎遠になっていったのです。
音楽を嫌いになるしかなかった
20代前半に、東京の音楽事務所からメジャーデビューを前提にお声を掛けて頂いたこともありましたが、「親の生活を支えているので、生活費の保証がない限り東京には行きません」と言い切ったものの、心のどこかに「行きたくても行けません」と思いながら、それを境に音楽から完全に離れることになりました。
支えてくれた人
高校を卒業してから32歳で起業するまでは、働いても自分の給料を見たこともないくらい自由に使えるお金のない生活でしたが、なぜか不満に思ったことは一度もありませんでした。いま思えば、他人なのに私を支えてくれる人が周りにたくさんいたからだと思います。本当に感謝しています。
無駄にしなければいい。
正直、音楽を恨んでいた時期もありましたが、あれから長い年月が経って気がつけば、当時の私と同じ世代の子たちが私に夢を与えてくれています。
私の「未来世界」には、このような幸せが待ってくれていたのかと、悔しかった過去がすべて感謝に変わり、途中は色んなことがあっても夢は自ら逃げていかないとを知りました。
今しかできないことを精一杯やることの大切さ、夢中になれるものがあることの大切さを、この歳になってやっと自分の言葉でいえるような気がします。だからこそ子供たちの夢を全力で応援しています。
私にできることはその環境づくりしかありませんが、小学生の時「すみれ September Love」を一緒に歌ったその友人と、今では音楽を通して子供たちの育成に取り組んでいるこの事実こそ、音楽のチカラの証明であり私の財産なのかもしれません。
音楽は人を裏切らないですね♬
by YASUNOSHIN