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「不登校が故に」
娘は中学1年生の2学期から不登校になった。家で寝ているかギターを弾いて歌っている姿しかなかった。私は当時、通信制高校の軽音楽講師をしていたこともあり、学校が苦手な生徒たちが音楽を通して笑顔になっていく姿をたくさん見てきた。娘が学校に通えなくても「毎日笑顔でいてくれたら、それだけでいい」と思い、音楽を通して娘と向き合うことを決意した。

娘の部屋から聴こえてくる歌詞とメロディに耳を澄ました。そこにはストレートに自分の心と向き合う歌があった。すぐに娘が作った曲だとわかった私は、この曲は今しか歌えない貴重なものだと思い編曲を始めた。そして、世に残しておこうと考えレコーディングをして配信リリースまでやってのけた。その時、娘は中学1年の冬休みに入っていた。とはいえ毎日が休みだった娘と中学を卒業するまでに7曲をリリースした。
「誰だって死にたくなるくらい辛い時がある」
朝まで起きている娘と私の部屋で毎晩のように音楽を語り合い、二人でスタジオやカラオケボックスにも通った。最初の頃はどこか心を閉ざしていたが、同じ目線で接する私に少しずつ心を開いていった。ある日、レコーディングスタジオに向かう途中、二人で信号待ちをしていた時、私は娘にさりげなく言った。「お父さんが顔を剃る時のカミソリが買ってもすぐになくなっていくけど、リストカットする時に無いと困るので盗むのを止めてくれ」と。すると娘が大笑いした。信号待ちをしていた周りの人たちがびっくりして振り向くほどだった。そして「お父さんだって時々死にたくなるくらい辛い時があるから」と言った瞬間、闇の中から抜け出せたような気がした。あの日から数年が経った今、娘は自分の音楽で100万人の人たちに届けられるアーティストになろうとしている。
当時の楽曲は1曲だけが今も配信中だが、いつの日かあの名曲たちを大舞台で歌ってくれる日が来ると信じている。「毎日笑顔でいてくれたら、それだけでいい」はずだったのに。

娘の隣の部屋で制作していた頃(2022年)
By やすのしん
